お家の裏に住んでいた山下さん。
大正生まれの90代、姿勢よく笑顔がステキだった。
私たちは引っ越してきた時、お隣には挨拶に行ったけど裏の住人には挨拶に行かなかった・・・
引っ越してから数年たったある日、裏に面している1階奥の部屋のシャッターをガラガラっと開けたところ、おじさんがいた。お庭の掃除をしていたらしい・・・
私のシャッターを開けるスピードがあまりにも速かったのか、おじさんは動けずにこっちを見ていて、当然ながらお互いに目があった。
『こんにちは、はじめまして〜』と私。
防犯クロス格子の間から、挨拶した。引っ越してきて挨拶行かなくてすみません、とか。
それから、顔見知りになった裏のおじさん、山下さんと私。
それからは、道でよくすれ違うようになった。
最初に道であった時、山下さんは私がわからなかったみたい・・・
『裏のバロですよ〜』と言うと、あ〜バロさん!と、それからおしゃべりして。
それからは、面白いことに、散歩の時間帯が同じなのかよく道で会うようになり、
2回目にあった時は、向こうから気づいてくれた。
『こんにちは、バ・・あれ?なんだったけ名前?バ・・・?』
3回目にあった時は私の名前すっかり覚えてくれてた!
戦争時代を経験していて、その頃のお話だったり、その昔のこの辺りは何にもなく原っぱだったこととか、いつもたくさんお話ししてくれて、私は山下さんが大好きになった。
料理が苦手な私に、お弁当の宅配だけど、健康をしっかり考えているから試してみなよ。とチラシを持ってきてくれたり・・・
私の緑内障がどんどん悪化していって、落ち込んでる私を励ましてくれた・・・
『大丈夫だよ、僕の奥さんも目が網膜剥離で、手術かなんかで目一回出して、ひっくり返して、また元に戻してさ、そんなことしても良くなったんだよ〜』
と、けっこうグロい、気持ち悪いその例え話😬とも思ったけど。
その頃、入院中の奥様に目の病院どこか良いところがあるか聞いてくれたり・・・
山下さんとは、なんだか気があって、私の娘も、マモン(まま)の新しい恋人現れるって占いにあるけど、なになに?良く会う人だってよ、あ!山下さんじゃないの?山下さんしかいないじゃん。と冗談いうくらい。
いや〜、私の父より年上だし😅・・・
大正生まれで多分頑固な山下さん(私にはその頑固さはわからなかった)、ある時またシャッターを閉めようと窓開けた時、お庭の木に登っていた。
いやいやっ、嘘でしょ?危ないから。と私がいう前に、
『大丈夫だよ〜、落ちないよ〜気をつけるからね〜』とニコニコ顔で言われた。
木の枝を切るの手伝ってあげたかったけど、娘のお迎えの時間で手伝えない・・・
お迎えから戻って、どうしたろう?と窓開けたて確認したら、木の枝が切られていてスッキリしていた。
よかった、無事だったんだ。と一安心。
それから、ある時道で会った時、1人じゃなくて誰かと一緒だった山下さん。
『バロさん、僕の奥さん死んじゃった』
と、元気ないつもの調子で言った。
私はショックで、何も言えなかった・・・
誰かといたし、いつものように立ち話できなかった・・・
何度も、裏に行ってお話しようか迷った・・・
1人で暮らしているし、心配だし、でも、お家にお邪魔することはしなかったから、どうしたら良いのか悩んだ・・・
今度、道であったとき話せるだろう。と思うようにした。
それから数ヶ月後にコロナが現れ出した。
山下さんに道で会わない。それに、コロナで私たちも散歩や外出しなくなり・・・
気がつくと、山下さんちのシャッターというか雨戸がずっと閉まりっぱなしのような。
コロナがあるから、郊外に住んでいる山下さんの娘さんのお家に行っちゃったかな?
寂しいけど、奥様が旅立ったあと1人で暮らしているよりは安心かな?
今度いつ会えるかな?・・・
先月、ポストにお手紙が入っていた。
山下さん他界のお知らせだった・・・
ショックというか、悲しみというか・・・
いつも元気で、ニコニコでお肌もピカピカで100歳まで生きるだろうと勝手に思っていた私だから・・・かなり沈んでしまった。
他界された奥様に対して、何も言えなかった私の後悔や、お家に訪ねていけばよかったという後悔や、もう道でおしゃべりできないんだ。と思うと・・・悲しみが溢れてくる・・・
先日山下さんの娘さんたちが、うちを訪れてくれた。
私のことを生前にお話ししてたみたい・・・
なんだか嬉しかった。
私も山下さんとのおしゃべりが楽しみで、娘に話していたように、山下さんも自分の娘さんたちに私とのことをお話していたんだ。
ずっと気になっていた山下さんのこと、今回悲しいけど、はっきりして少し心が少しだけ楽になった感じ・・・
もっとこうすればよかった、ああすればよかった、という後悔はあるけど、今山下さんは大好きな奥様と一緒に天国でニコニコしてるはず。
と思うと気が楽だ。
うらの山下さんとの出会い、私の大切な大切な思い出の1つになった・・・
ありがとう山下さん。